井上 清治 -INOUE  KIYOHARU-

 

井上清治 INOUE Kiyoharu

1941年福岡県生まれ、東京藝術大学大学院 日本画科修了。

 

東京藝術大学在学中に日本美術院(院展)入選し、日本美術院「院友」推挙。

日府展理事、日府展専務理事就任。福岡県「英彦山神宮」へ「奉幣殿図」奉納。

平成10年、北海道斜里岳「北の朝」外務省買い上げ。

平成15年~日本橋、横浜、新宿、福岡、大阪、名古屋各高島屋にて個展開催。

平成17年 松山高島屋にて個展。紫陽会、如月会、四十雀、神無月 日本画教室開講。

 

東京藝術大学では、田渕俊夫(*1)、福井爽人(*2)と同窓。松岡映丘、前田青邨の流れをくむ須田珙中(*3)に師事。俊才・須田珙中は、東京藝術大学助教授の職にあったが、体調を崩してしまう。多くの弟子たちが、珙中から離れていく中、井上清治は、一貫して師事し、そのもとを離れなかった。しかし、珙中は、57歳で逝去。その後も、清治は珙中を師事し続けた。日本美術院入選。さらに日本美術院「院友」に推挙される。現在、小平美術協会会長を務めながら、日本画家だった父の言葉「万物を描け。それが画家」を心に留め、作品を描き続けている。

 

  • *1 たぶち としお :1995年より東京藝術大学教授、2005年東京藝術大学副学長就任、2016年日本美術院理事長
  • *2 ふくい さわと :1991年より東京藝術大学教授
  • *3 すだ きょうちゅう :明治41福島県生まれ、東京美術学校(現東京藝術大学)卒、松岡映丘(えいきゅう)前田青邨(せいそん)に師事。昭和18文部省美術展覧会(文展で「琉球」が特選。昭和27年か らは日本美術院展を中心に活躍「篝火(かがりび)」「正倉院」が日本美術院賞。昭和34年東京藝術大学助教授。35年日 本美術院同人。昭和397月、57歳の若さで急逝。その早過ぎる才能の喪失は、日本画界への大きな打撃となった